| 第1回全国大会 現地講演 |
| 有馬温泉の最近の動向 |
| 有馬温泉観光協会常務理事 金井 啓修 |
有馬温泉の湯は赤茶色の湯。鉄分と強い塩分を含んだ温泉。近くに火山が無い事や温泉の成分から、有馬はマグマ水型の温泉と考えられる。このタイプの温泉は断層の裂け目に添って、マグマのガス分の中の水分が地表に溢れる温泉。ゆえに有馬は古来より多くの地震の被害を受けてきた。
1995年に起こった阪神淡路大震災は有馬温泉に大きな被害をもたらしたが、死傷者が無かったことから被害状況はあまり報道されなかった。被害を受けた多くの神戸の人達が震災直後から有馬にお風呂を求めてやってきた。震災復興イベントの一つとして6月から「昼食+温泉」のクーポン券を発売した。大変好評で以降、有馬で旅館の昼食提供が定着した。
旅館の昼食提供により、食事前後に観光客が街中に出かけるようになり、有馬の街中の賑わいが生じた。商店が活気を持ち、新たな店舗も開店した。そして「街並みを考えよう」という動きへと発展してきた。
全国に目を向ければバブル崩壊後、手軽に温泉が利用できることから外湯の人気が沸騰。外湯めぐりのできる温泉地が人気となった。また各地の市町村に温泉施設ができたことにより、温泉の日帰りが日常化した。そこで、有馬も外湯の整備が求められ、2001年に銀の湯開館。2002年に温泉会館を建て替えて、金の湯が誕生した。現在年間40万人のペースで金の湯の入浴客がある。
観光地の情報は旅本、テレビ番組。そしてインターネット等の情報によってもたらされるようになり、個人が手軽に情報収集できることから、個人旅行が加速度的に増えてきた。そして旅館の集客方法は、必ずしも旅行代理店に依存する必要が無くなってきた。
こうした現象は、旅行代理店お気に入り旅館よりメディア好みの個性派旅館。他館が提供しないニッチサービス提供旅館等。旅行代理店依存型旅館ができないサービスや形態を行う宿が支持されるようになってきた。
温泉街を見ると、旅館に商品を卸す店舗より直販店舗が業績を上げ、”有馬温泉”という名前を付けない土産物も売れ出した。つまり他人への土産から自分への土産を買うという動きへと、観光客は変わった。また女性の視点が重要になった。ある旅館の売店は女将好みの商品構成で売り上げを上げている。
集客方法の変化や入り込み客の変化は、従来の有馬の街を構成しているピラミッドの崩壊を招いた。大型旅館を頂とする縦割りピラミッド型からwebサイトのようなネットワーク型へ変化する必要性が生じている。
イベントに対する考え方も、打ち上げ花火的イベントの開催より、協同で商品を販売する、ループバスを運営する。というように継続した事業を行うことで、来湯客の満足度を上げようという動きへと変わりつつある。
事業を行うためには、組合組織の法人化が必須となり、2000年旅館組合が先頭を切り法人化へ、観光協会、自治協議会と各集合体が法人格を持つようになった。
法人化へ移行するという事は、今までの寄り合い、なあなあ型の組合体質を変える必要が生じてきた。現在その体質改善の最中である。
2002年有馬温泉の入湯税の税額は、宿泊者で前年対比104%。テレビ放映の「利家とマツ」で伸びた、山代・山中と比べても遜色は無い。ちなみに全国のほとんどの温泉地は100%を切っている。有馬の日帰り客のデーターは無いが、金の湯開館以降、大きな伸びを示していると思われる。
また神戸市の観光調査が25年びりに行われた。前回はNHKの朝の連ドラ「風見鶏の館から」の直後に行われ、兵庫県以外の人を対象に「神戸で訪れたい観光スポットは?」の問いに対して有馬温泉は番外だった。しかし今回、トップになった。ということは、いかに”温泉”が観光客にとって身近なものになり、観光ルートを設定する上で重要項目になったという証だと考えられる。この事は、街中に多くの外国人観光客を見かける事でも伺える。
しかし震災後8年間の有馬の劇的な変化は、変化に対応できた所と、出来なかった所が生じている。変化を認めることのできない所の中には、組合を離脱する所も出てきた。また逆に有馬温泉に新規進出する企業も出てきた。
今後の問題点や課題は、変化した有馬に応じた各組合の組織作りを行なう必要がある。そして街並みの景観や交通問題などの諸問題に対応していかなけらばならない。
組合や自治会所有の不良、優良資産等の有効活用が計らねばならない。有馬ブランドを確立しなければならない。
長い有馬の歴史をさらに積み重ねていく上で、リサイクルや温泉保護など、地球環境に配慮した地域づくりを行わなければならないと考えている。 |
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